世界の料理図鑑 イラン
ディジー
دیزی / آبگوشت ディジー/アーブグーシュト Dizi (Abgoosht)
壺のまま出てくる羊と豆の煮込み。汁をパンに吸わせて食べ、残った具は杵で潰してペーストにする。
イランの食堂で、これだけは食べ方を知らないと詰みます。
素焼きか石の壺がそのまま置かれ、横に杵のような金属の棒が添えられる。スプーンではなく、杵です。
名前のアーブグーシュト(آبگوشت)は「アーブ=汁」+「グーシュト=肉」。そのまま「肉の汁」という意味です。ところがこの料理、汁と肉を別々に食べます。
- 国・地域
- イラン全土。イスファハンには専門店が複数
- 分類
- 煮込み(羊肉と豆)
- 相場
- 18万〜28万トマーン(約630〜980円)
- 主な材料
- 羊の骨付き肉、ひよこ豆、白いんげん豆、じゃがいも、玉ねぎ、トマト、乾燥ライム、ターメリック
- 辛さ
- 辛くない。乾燥ライムの酸味が効く
- 食べる場所
- ディジー専門店(ディジーサラー)、伝統喫茶(ソフレハーネ)
- ベスト時間
- 昼。夜は出さない店が多い
- 道具
- グシュトクーブという杵が必ずつく
- 支払い
- 現金かイラン国内デビットカード
- 所要
- 注文から数分。壺の中ではすでに何時間も煮えている
01一口目に来るもの
最初に口に入るのは肉ではなくパンです。壺の汁だけを小さな器に注ぎ分け、そこにパンをちぎって浸す。
汁は羊の脂で濁っています。一口目に来るのは、その脂の甘さ。次にトマトの酸味、そして乾燥ライムの、燻したような深い酸味。
この乾燥ライム(リムー・オマーニー)が効いています。ただの酸っぱさではなく、苦味と香りを含んだ酸。これがないとただの羊のスープになる。
パンは汁を吸ってふやけ、器の中で崩れます。それをスプーンですくって食べる。ここまでが第一段階です。

02第二段階:杵で潰す
汁を飲み終えると、壺の中に具だけが残ります。羊肉、ひよこ豆、白いんげん豆、じゃがいも、玉ねぎ。
ここでグシュトクーブ(گوشتکوب)の出番です。金属か陶器の杵で、壺の中の具を徹底的に潰します。
どこまで潰すか。全体が単色になって、ねっとりした一塊になるまでです。肉と豆とじゃがいもの境目が消える。
できあがったペーストをグーシュト・クーバイドといいます。これを熱いパンに載せ、生玉ねぎ、ピクルス、生ハーブと一緒に包んで食べる。一つの料理を二回、違う形で食べるわけです。


潰す前と後で、別の料理になる
潰す前の具は、それぞれの食感が残っています。羊肉は骨からほろりと外れ、ひよこ豆はねっとり、じゃがいもは煮崩れ気味。
潰したあとはクリーミーなペーストに変わります。粗いリエット、あるいはムースに近い密度。パンに塗って食べられる状態になる。
面白いのは、味そのものはほとんど変わらないのに、食べた印象がまるで違うことです。同じ材料が二度、別の顔で出てくる。
食べ終わったあとに残るのは骨と、空の壺だけ。無駄が出ない設計になっています。



第 一 章
壺ごと、何時間も
仕込み中の壺が並ぶ。ひとつの壺がひとり分になる
03壺が料理の単位になっている
ディジー(دیزی)はもともと料理名ではなく、この壺そのものの名前でした。素焼きの陶器、あるいは石を彫った器です。
壺は保温性が高い。炭や薪の弱火にかけたまま、16〜17時間煮込む店があるという記録もあります。現代の店でも壺ごと8時間という数字が出てくる。
この方式には副産物があります。壺ひとつが一人前なので、肉と豆と水が等量ずつ分けられる。「一人分でも千人分でも、同じ量が行き渡る」という平等性への言及が、イラン国内の記事にはよく出てきます。
安い骨付き肉と豆を、長時間の弱火で腹を満たすものに変える。制約から生まれた料理の典型です。


04添え物が必ずセットになる
パンはサンギャクかラヴァーシュ。サンギャクは熱した小石の上で焼く全粒粉のパンで、表面に石のくぼみが残っています。
卓上には生玉ねぎが丸ごと置かれることがあります。手で割ってかじる。羊の脂を切るためです。
トルシー(ピクルス)とサブズィー・ホルダン(生ハーブの盛り合わせ)も一緒に。ミント、バジル、タラゴンなどが山盛りで出てくる。
飲み物はドゥーグ。塩味のヨーグルト飲料で、これも脂を中和する役割です。この料理は、酸と辛味と脂の三角形で設計されています。


スプーンではなく杵が出てきたら、それはディジーです。イスファハンのディジー専門店にて
05どこで食べられるか
イスファハンにはディジー専門店(ディジーサラー)が複数あります。ディジー・スルターン・マフムード(マスジェド・セイエド通り周辺)、ディジー・サラーイェ・ハーッジ・ヤドッラー(チャハールバーグ・パーイーン通り)など。
ゴラーベトゥン(ナーズバンド地区)は普通の陶器の壺と石の壺の両方を出します。チャハールソウギーハー(ランバーン地区)は古参として名前が挙がる店です。
ナクシェ・ジャハーン広場の周辺ならハキーム・バーシーが、ベリヤーニーとディジーの名店として紹介されています。
重要な注意。ディジーは昼の食べ物です。伝統喫茶や専門店は正午前後にしか出さない店が多い。夜に探しても見つかりません。


06似ている料理
アゼルバイジャンや周辺地域のピティが最も近い。個別の壺で供する形式も、肉と豆の組み合わせも同じで、直系の親戚といえます。
フランスのポトフは、骨付き肉と根菜を長時間煮て、肉・野菜・スープを別々に楽しむ点が共通しています。ただし潰す工程はありません。
日本のもつ煮は長時間煮込んだ肉の柔らかさが近いものの、豆が主役ではないし、乾燥ライムのような酸味もない。
「潰してペーストにしてパンに包む」という第二段階を持つ料理は、世界的にもかなり珍しい。ここがディジーの独自性です。
07豆知識
・名前の意味は「肉の汁」。アーブ(汁)+グーシュト(肉)。
・「ディジー」は本来、壺の名前でした。器の名前が料理名になった例です。
・杵のグシュトクーブは、家庭では大きめのスプーンの背やポテトマッシャーで代用されます。
・老舗の薪火式の店では、16〜17時間壺を火にかけたままにするという調理法が伝えられています。
・銅鍋で作るガブルメパズィーという低脂肪版の業態も存在し、こちらのほうが清潔とされていた、という記述もあります。






