世界の料理図鑑 ロシア
ビーフストロガノフ
бефстроганов ベフストロガノフ Beef Stroganoff
薄切りの牛肉を2〜3分だけ焼く。スメタナとマスタードだけの、意外なほど白い料理。
日本でビーフストロガノフといえば、デミグラスソースの茶色い煮込みを思い浮かべます。ハヤシライスの親戚のような。
ところが1871年に活字になった最初のレシピには、トマトもデミグラスも入っていません。牛肉、玉ねぎ、スメタナ、マスタード、小麦粉、黒こしょう。それだけ。
つまり本来のこれは白い料理です。そして「煮込み」ですらない。2〜3分で仕上げる炒めものです。
- 国・地域
- ロシア全土。国際的にも「ロシア料理」として定着
- 分類
- 肉料理(炒め+クリームソース)
- 相場
- 150〜1,400ルーブル(約285〜2,660円)と幅が大きい
- 主な材料
- 牛の赤身(フィレやもも)、玉ねぎ、スメタナ、マスタード、小麦粉、黒こしょう
- 辛さ
- 辛くない。マスタードの刺激だけ
- 食べる場所
- カフェ、家庭料理系レストラン、肉料理専門店
- ベスト時間
- 昼でも夜でも。冷めると味が落ちるので出来たてを
- 付け合わせ
- マッシュポテト、パスタ、蕎麦の実(グレーチカ)
- 支払い
- ロシア国内発行カードか現金
- 所要
- 炒めるのは2〜3分。注文から10分前後
01一口目に来るもの
最初に来るのはスメタナの酸味です。生クリームではなくサワークリームなので、コクの後ろに必ず酸が立っている。
次に肉。厚さ5ミリほどに薄切りにした赤身が、繊維に沿ってほどける。噛み切るのではなく、ほどける。
そして飲み込む直前に、マスタードのつんとした刺激が鼻に抜けます。これが入っていないと、ただのクリーム煮になってしまう。
ソースは小麦粉でとろみをつけてあるのでベルベットのような舌触り。付け合わせのマッシュポテトと混ざると、境目がなくなる。

022〜3分しか焼かない
この料理の技術的な核心は「焼きすぎないこと」です。
薄切りにした牛肉を、強火のフライパンに広げて2〜3分。表面に色がついたらそこで止める。長く焼くと肉汁が抜けて硬くなる。
だから使う部位も赤身に限られます。フィレやもも。脂身の多い部位は、この短時間では脂が溶けきらない。
炒めた肉をいったん取り出し、玉ねぎとスメタナでソースを作り、最後に肉を戻す。肉がソースの中で煮える時間をつくらない——これがロシア式です。


トマトはいつ入ったのか
最初のレシピは1871年、エレーナ・モロホヴェツの家庭料理書『若い主婦への贈り物』に載った「マスタード添え牛肉ストロガノフ風」です。ここにトマトはありません。
現在ロシアで一般的なレシピにはトマトペーストとマッシュルームが入ります。ただしこれは20世紀に入ってからの追加です。
日本のビーフストロガノフがデミグラス寄りなのは、ハヤシライスの文脈に吸収されたからです。牛肉と玉ねぎを茶色いソースで、という形が先にあった。
どちらが正しいという話ではありません。ただモスクワで注文すると、想像より白いものが来るという覚悟はしておくといい。



第 一 章
ストロガノフ伯爵という名前だけの謎
マッシュポテトを土手にして中央に肉を盛る、ロシアの家庭的な出し方
03伯爵の伝説は、たぶん本当ではない
名前の由来はアレクサンドル・グリゴリエヴィチ・ストロガノフ伯爵(1795–1891)。塩とシベリア開発で財を成した大富豪一族の当主です。
有名な逸話が二つあります。ひとつは「老齢で歯が悪くなった伯爵のために、料理人が肉を薄切りにした」。もうひとつは「オデッサで誰でも入れる食事会を開いていた伯爵のために考案された」。
どちらも証拠がありません。ロシア語版ウィキペディアも「ストロガノフ家との関係は名前だけ」と結論しています。
確かなのは、1890年代以降に広まり、第二次大戦後に世界中のホテルの正餐メニューに載ったということ。ロシア料理でいちばん輸出に成功した一品です。


04どこで食べられるか
値段の幅がとにかく大きい料理です。デリバリー系の格安店なら150ルーブル台から、カジュアルなチェーンで695ルーブル、マーブル牛と白きのこを使うレストランで1,390ルーブル。
肉料理専門店の「THE БЫК(ザ・ブィク)」、イタリア系の「Osteria Amici」などで確認できます。
安食堂にも「牛肉のクリーム煮」的なメニューはありますが、ストロガノフの名前で出しているとは限らない。看板を見て選ぶ必要があります。
注意点がひとつ。この料理は冷めると味も食感も落ちます。テイクアウトには向きません。座って、出てきてすぐ食べるべきものです。


肉を叩いて薄く切るのは、硬い肉を柔らかく食べるため。そこはクビーデもストロガノフも同じです。モスクワの肉料理店にて
05似ている料理
スイスのチューリッヒ風細切り肉(Zürcher Geschnetzeltes)が最も近い。仔牛肉を白ワインとクリームで仕上げ、レシュティを添える。「ストロガノフのいとこ」と呼ばれることもあります。
日本のハヤシライスは、牛肉と玉ねぎという構成が同じ。ソースがデミグラス側に振れているだけです。
イランのクビーデとは調理法こそ違いますが、「硬い肉をどう柔らかく食べるか」という出発点が共通しています。叩くか、薄く切るか。
付け合わせに蕎麦の実(グレーチカ)を選ぶと、いちばんロシアらしい皿になります。
06豆知識
・「беф」はフランス語の Bœuf(牛肉)から。ロシア語の中に外来語がそのまま残っています。
・本来のレシピにきのこは入りません。現代版のほうが具が多い。
・ストロガノフ家はシベリア進出を資金面で支えた一族。料理名より歴史の教科書での出番のほうが多い。
・付け合わせにフライドポテトと生トマトを添えるのが考証に忠実な出し方とされます。
・世界の高級ホテルで「ロシア料理」の代表として供され続けた結果、本国より海外での知名度が高い時期がありました。







