世界の料理図鑑 日本
このわた・くちこ
海鼠腸・干口子(バチコ) このわた/くちこ Konowata & Kuchiko
ナマコ一匹から取れる腸はわずか。卵巣を三十匹分干して、ようやく一枚。日本三大珍味の名は伊達ではない。
からすみ、うに、そしてこのわた。日本三大珍味と呼ばれる三つのうち、いちばん名前を知られていないのがこのわただろう。
正体はナマコの腸の塩辛である。そしてもう一つ、ナマコの卵巣を三角形に干した「くちこ」がある。バチコとも呼ぶ。三味線の撥(バチ)に形が似ているからだ。
どちらも、ごく少量しか作れない。くちこは一枚を作るのに三十匹から五十匹分の卵巣が要る。重さにすればナマコ十数キロから二十キロ。干し上がって手のひらほど、十グラムから二十グラムにしかならない。
- 国・地域
- 日本。能登(七尾湾)・三河湾・伊勢湾が古来の三大産地。現在は瀬戸内でも
- 分類
- 珍味。このわた=腸の塩辛/くちこ=卵巣の干物
- 相場
- このわた40gで1,836円/干くちこ1枚で5,000〜10,800円
- 主な材料
- マナマコの腸または卵巣、塩。それだけ
- 辛さ
- 辛くない。塩気と磯の香りが主役
- 食べる場所
- 石川県七尾市のなまこや、福井の天たつ、能登スタイルストア、百貨店
- ベスト時間
- ナマコの旬は冬。くちこは1月から3月の卵巣に限られる
- 一人前の目安
- このわたは小さじ一杯。くちこは一枚を数人で裂く
- 食べ方
- このわたはそのまま、または熱燗を注ぐ。くちこは軽く炙って手で裂く
- 近い料理
- からすみ、うに、めふん、アンチョビ
01一口目に来るもの
小さな器に、褐色のひも状のものが入っている。量は小さじに一杯ほど。それ以上は要らない。
箸の先に少しだけ取って口に運ぶと、最初に来るのは磯の香りだ。「口に入れた瞬間に芳醇な磯の香りを感じられ、独特の粘りのある食感が特徴」と書かれている。塩気はあるが、近年の製品は塩分3.6パーセント前後まで下がっていて、昔ほど塩辛くはない。
舌に触れると、ねっとりと絡む。潮の香りと一緒に、かすかな甘みが上がってくる。瀬戸内産は「繊細な磯の香り、すっきりした後味」と評され、産地によって濃さが違う。
くちこのほうは、まったく別の食べ物だ。乾いた三角形を軽く炙り、手で裂いて口に入れる。「濃厚な磯の香りは日本酒に良く合う」「海の豊かさを凝縮したような味」。噛むほど繊維がほどけ、塩味の奥から甘みが出てくる。ただし炙りすぎると香りが飛ぶ。火加減がすべてだ。


第 二 章
能登、三河、伊勢
能登半島
02このわたと、このこと、くちこ
名前がややこしいので、先に整理しておきたい。
「こ」はナマコの古い呼び名である。だから「このわた」は、こ(ナマコ)の腸。「このこ」はナマコの子、つまり卵巣を指す。この卵巣に薄く塩をして干さないものが「生このこ」「生くちこ」、三角形に干した乾物が「くちこ」=「バチコ」=「干くちこ」になる。
そしてもう一つ、中華食材の「干しなまこ(海参)」がある。これはナマコの体壁を茹でて干したもので、このわたやくちことはまったく別の商品だ。
面白いのは、日本と中国で使う部位が正反対だということだ。中国向けの干しなまこ加工では、内臓は取り除いて捨てる。その捨てるはずの内臓を、日本は珍味に仕立てた。ナマコ一匹が、体は中国の高級乾物に、中身は日本の三大珍味になる。





03三十匹分で、一枚
このわたの作り方はこうだ。ナマコを生け簀で二日ほど泳がせて中を綺麗にする。腹を5、6センチ切り開いて内臓を取り出し、砂を絞り出して、腸管・呼吸樹・生殖巣に分ける。海水で洗い、重量の一割強の塩をする。二、三日で食べられるようになる。
くちこは、ここからさらに手がかかる。取り出した卵巣を塩漬けにし、紐や箸に掛けて三角形に整え、寒風で一週間ほど干す。この一枚を作るのに、卵巣が三十匹から五十匹分。ナマコの重さでいえば十数キロから二十キロが要る。
それだけ集めて、干し上がるのは手のひらほど、十から二十グラム。値段が一枚数千円から一万円を超えるのは、そういう理屈である。
しかも卵巣が取れるのは産卵期の一月から三月だけ。年に数十日しかない仕事だ。

04延喜式に載っている
927年に成立した『延喜式』に、能登国からの貢納物としてこのわたが記されている。千百年前から朝廷に納められていた食べ物だ。
室町時代には、能登の畠山氏が足利将軍家へ「海鼠腸桶」を贈った記録がある。江戸時代には尾張徳川家が師崎産のこのわたを将軍家へ献上した。1603年の『日葡辞書』にも「コノワタ」が収録されている。
産地としては、古来から能登半島・伊勢湾・三河湾の三つが挙げられる。江戸期には尾張・三河産が最高級とされた。現在は石川県では七尾市石崎町と穴水町中居が中心で、くちこは能登産が最高級とされる。瀬戸内海(山口、香川・観音寺)や長崎でも作られており、瀬戸内のものは穏やかな潮流で育つぶんクセが少なく上品だと言われる。
『本朝食鑑』には面白い記述がある。三河の柵島に、塩の分量を目分量で決めて素早く加える技を持つ僧がいた。彼が後に尾張へ移り、尾張産を最高級に押し上げた——という話だ。


05このわた酒と、炙ったくちこ
このわたはそのままでも食べるが、いちばん知られた食べ方は「このわた酒」である。熱燗を注ぐと、香りがぱっと開く。三杯酢で和える、叩いて薄い汁にする「このわた汁」、ナマコの身と和える「親子和え」、うずら卵やとろろと合わせる、といった食べ方もある。
くちこは、軽く炙るのが基本だ。アルミホイルの上でさっと。そして手で裂く。硬ければキッチンバサミを使ってもいい。おろし金でおろして和え物にする、刻んで吸い物に入れる、という使い方もある。
どちらも合わせるのは日本酒、それも燗である。ぬる燗から熱燗にかけて、磯の香りがいちばんよく開く。


06どこで買えるか
石川県七尾市石崎町のなまこや(大根音松商店、1984年創業)が代表格だ。このわたは小ビン40gで1,836円、大ビン80gで3,456円。赤なまこのこのわた80gなら4,644円。竹筒入り25gが1,296円という商品もある。
福井の天たつは瓶入り20gが3,996円。生くちこ60gが5,940円、干くちこの「小ばちこ」が10,800円。高島屋オンラインでは「浜の院」の干くちこ10gが5,400円で扱われている。
買える場所としては、能登スタイルストア、七尾特産品協会、百貨店のオンラインなど。干くちこは一枚5,000円前後からが相場と思っておけばいい。




07黒いダイヤと呼ばれて
ナマコをめぐる状況は、いま穏やかではない。
マナマコの全国漁獲量は2022年で5,349トン、2023年で5,593トン。東京内湾や三重県では「低位・減少」と評価されている。輸出は2023年で1億3,758万ドル・400トン。金額の44.9パーセントが香港、41.2パーセントが中国だった。
2023年8月24日、中国が日本産水産物を全面禁輸した。2025年6月29日から10都県を除いて条件付きで再開されたが、2024年のナマコ調製品の輸出額は105億円と、前年比38パーセント減になっている。
密漁も深刻だ。2020年12月1日から、アワビ・ナマコ・シラスウナギは「特定水産動植物」に指定された。無許可の採捕は3年以下の懲役または3,000万円以下の罰金。個人に対する罰金としては最高額である。令和6年の全国の検挙は1,661件にのぼった。中国での乾燥ナマコ人気が、この「黒いダイヤ」を生んでいる。
08豆知識
容器に地域性があった。京都・大阪・金沢は竹筒入り、名古屋方面は桶入りが好まれた。昭和40年代以降は120ミリリットルのガラス瓶が主流になっている。
「バチコ」の名は三味線の撥から。「海の宝石」と呼ばれることもある。
日本のナマコは、体が中国向けの高級乾物になり、中身が日本の三大珍味になる。一匹が二つの高級品に分かれて、別々の市場へ流れていく。
伊勢志摩産の特級の干しナマコは100グラムで15,288円。1キロ換算で15万円を超える。
このわたは、もともと「捨てる部分」だった。中国向けの加工で取り除かれる内臓を、日本人が珍味に仕立て直したところから始まっている。
近くの棚から 日本のもう一品
写真はすべて Wikimedia Commons より。各画像の作者とライセンスは以下のとおりです。
- 01/このわた – flickr 5893169002 9f78eb0550 o.jpg / Koji Horaguchi / CC BY 2.0
- 02/Ika no shiokara by ayustety in Monzen-nakacho, Tokyo.jpg / ayustety from Japanese restaurant Uotei in Monzen-nakacho, Koto, Tokyo / CC BY-SA 2.0
- 03/Japanese sake glass and flask.jpg / Culture Japon / CC BY-SA 4.0
- 04/Noto Peninsula (14894602148).jpg / foooomio / CC BY 2.0
- 05/Japan sea animal, Apostichopus japonicus.jpg / harum.koh from Kobe city, Japan / CC BY-SA 2.0
- 06/Dalian sea cucumber.jpg / Fumikas Sagisavas / CC0
- 07/Florida Sea Cucumber Holothuria floridana crop rotate.jpg / seanpmyers / CC0
- 08/Water-soaked sea cucumber (3).jpg / Fumikas Sagisavas / CC0
- 09/Dried sea cucumber.jpg / Bare Dreamer / CC BY 2.0
- 10/Toshimana playing shamisen 06.jpg / Sawai Susao / CC BY-SA 2.0
- 11/Apostichopus japonicus (10.11646-zootaxa.4350.1.7) Figure 6.jpg / Woo, S.P., Ogawa, A., Tan, S.H., Yasin, Z., Kajihara, H. & Fujita, T. 2017. A taxonomic revision of the genus Apostichopus (Holothuroidea: Stichopodidae) from Japan. Zootaxa 4350(1): 121–135. https://dx.doi.org/10.11646/zootaxa.4350.1.7 / CC BY 3.0
- 12/Popular history of the aquarium of marine and fresh-water animals and plants (Plate X) (7414353340).jpg / Sowerby, George Brettingham / Public domain
- 13/Sushi uni.jpg / self / CC BY-SA 3.0
- 14/Yokohama Chinese Medicine Sea cucumber 2.jpg / Commons投稿者: Chris 73 / CC BY-SA 3.0
- 15/Nishi-Mikawa 1837.jpg / 青生東谿 / Public domain
- 16/Himi Line and Noto Peninsula (14894603748).jpg / foooomio / CC BY 2.0
- 17/Noto Roadtrip May 21 2006 152 (150301370).jpg / Adam Kahtava from Calgary, Canada / CC BY 2.0
写真の出典
本文中の写真はすべてWikimedia Commonsより。各画像のライセンスは以下のとおりです。
0 このわた – flickr 5893169002 9f78eb0550 o.jpg/Koji Horaguchi/CC BY 2.0/Wikimedia Commons
1 Japan sea animal, Apostichopus japonicus.jpg/harum.koh from Kobe city, Japan/CC BY-SA 2.0/Wikimedia Commons
2 Dalian sea cucumber.jpg/Fumikas Sagisavas/CC0/Wikimedia Commons
3 Water-soaked sea cucumber (3).jpg/Fumikas Sagisavas/CC0/Wikimedia Commons
4 Dried sea cucumber.jpg/Bare Dreamer/CC BY 2.0/Wikimedia Commons
5 Yokohama Chinese Medicine Sea cucumber 2.jpg/不明/CC BY-SA 3.0/Wikimedia Commons
6 Florida Sea Cucumber Holothuria floridana crop rotate.jpg/seanpmyers/CC0/Wikimedia Commons
7 Apostichopus japonicus (10.11646-zootaxa.4350.1.7) Figure 6.jpg/Woo, S.P., Ogawa, A., Tan, S.H., Yasin, Z., Kajihara, H. &am/CC BY 3.0/Wikimedia Commons
8 Popular history of the aquarium of marine and fresh-water animals and plants (Plate X) (7414353340).jpg/Sowerby, George Brettingham/Public domain/Wikimedia Commons
9 Ika no shiokara by ayustety in Monzen-nakacho, Tokyo.jpg/ayustety from Japanese restaurant Uotei in Monzen-nakacho, K/CC BY-SA 2.0/Wikimedia Commons
10 Noto Peninsula (14894602148).jpg/foooomio/CC BY 2.0/Wikimedia Commons
11 Himi Line and Noto Peninsula (14894603748).jpg/foooomio/CC BY 2.0/Wikimedia Commons
12 Noto Roadtrip May 21 2006 152 (150301370).jpg/Adam Kahtava from Calgary, Canada/CC BY 2.0/Wikimedia Commons
13 Japanese sake glass and flask.jpg/Culture Japon/CC BY-SA 4.0/Wikimedia Commons
14 Toshimana playing shamisen 06.jpg/Sawai Susao/CC BY-SA 2.0/Wikimedia Commons
15 Sushi uni.jpg/self/CC BY-SA 3.0/Wikimedia Commons
16 Nishi-Mikawa 1837.jpg/青生東谿/Public domain/Wikimedia Commons
参考にした資料
Wikipedia「このわた」「くちこ」
水産研究・教育機構「このわた」
なまこや(大根音松商店・石川県七尾市)
天たつ(福井)
高島屋オンラインストア
瀬戸内なまこ屋
水産庁「密漁対策」
JETRO 農林水産物・食品輸出資料
水産研究・教育機構 資源評価(マナマコ)
※くちこ(干口子・バチコ)の自由利用可能な写真が存在しないため、ナマコ・干しナマコ・三味線の撥などの写真で説明し、キャプションにその旨を明記しています。






