
インジェラ
እንጀራ · Injera
皿でもあり、スプーンでもあり、主食でもある
大皿が運ばれてくる。灰色がかった布のようなものが一枚敷かれ、その上に色とりどりの煮込みが小山になって載っている。この一枚がインジェラだ。
テフというエチオピア原産の極小の穀物を、発酵させて焼いたもの。皿の上に敷かれ、すべての料理を受け止める。ちぎって煮込みをつまめば、スプーンの役もする。
そして、ひと口目に来るのは辛さではない。酸味だ。
30秒でわかる、この料理
- なにか
- テフの粉を発酵させて焼いた、酸っぱいスポンジ状の平パン。皿と主食を兼ねる
- 一口目
- ヨーグルトのような乳酸発酵の酸味。辛い煮込みと合わせて完成する
- 作法
- ちぎるのも口に運ぶのも右手。大皿はみんなで分け合う
- 断食日
- 肉・乳製品・卵が消え、菜食の大皿ベヤイネトゥに切り替わる
- 値段
- ローカル食堂の大皿なら200〜400ブル(約200〜400円)
図鑑データ
- 国・地域
- エチオピア、エリトリア
- 分類
- 発酵させた平パン(主食)
- 相場
- 1枚10〜12ブル(約10〜12円/2021年の参考値)。大皿200〜800ブル
- 主な材料
- テフ粉、水、エルショ(発酵液のスターター)。混合粉を使う日常版もある
- 辛さ
- 辛くない。酸っぱい
- 食べる場所
- エチオピア全土。食堂、家庭、メルカート
- ベスト時間
- 一日中。断食日は精進の大皿になる
- 一人前の目安
- 2〜3人で1枚を共有するのが普通
- 食べ方
- 右手だけを使う。ちぎって、ワットをつまむ
- 近い料理
- エリトリアのタイタ、南インドのドーサ(発酵という点で)
大皿を見る

表面の「目(アイン)」断食日の大皿。インジェラを一面に敷き、肉を使わない料理だけを小山に盛る
一口目
味
まず酸っぱい。パンよりヨーグルトに近い
ちぎって口に入れると、まず酸味が来る。乳酸発酵による酸で、日本人にとってはここが最初の壁になる。「思っていたのと違う」と感じる人が多い。辛さはない。
合わせる
辛いワットと一緒に、意味が変わる
その酸味は、単体で味わうものではない。辛いワットと一緒に食べた瞬間、辛さを酸味が受け止めて、口の中でちょうどよくなる。
食感
スポンジ。噛むと、もちっと返る
現地では表面の穴を「目(アイン)」と呼ぶ。この穴が汁を吸い、噛むと弾力が返ってくる。裏側はつるりと滑らかで、こちらが焼き面に触れていた側。発酵が長いほど酸味が強くなり、コムタタと呼ばれるほど酸っぱいものもある。


三日かけて焼く
テフ粉と水に、エルショを加える。前回の生地から取っておいた発酵液で、日本のぬか床の種のようなものだ。
粉と水を混ぜてから皿になるまで、三日がかり一次発酵は24〜72時間。標高と気温で変わる。エチオピアは高地なので、日本の常識より時間がかかる。
失敗はだいたい発酵で決まる。足りないと「目」が開かない生地の1割ほどを煮て糊化させたアブシットを戻し、二次発酵を30分から2時間。この二段構えがインジェラの質感を作る。
発酵させすぎるとコムタタになる。酸味が強すぎ、栄養価も落ちるとされる
4焼くのはミタドという大きな素焼きの円板。90〜95度に温め、生地を外へ向かって渦巻き状に流す。
中心から外へ、一気に
5蓋をして2〜4分。裏返さず、片面だけで焼き上げる。
下からは薪の火で熱する
6焼けたものは巻いて、メソブという円錐形の蓋つきの編みかごに重ねて保存する。常温で3日ほど持つ。
朝早くから火を入れ、何十枚も続けて焼くなぜ、エチオピアで食べられているか
テフの栽培が始まる
インジェラの粉になるテフの栽培は、ここまで遡る。
ミタドの遺物
焼き板ミタドの考古遺物が見つかっている。確かな手がかりはここから。
「紀元前100年ごろから」
現地でよく語られる話。ただし民間伝承で、史料では確認できない。
年間180日の断食
エチオピア正教の信徒は年間180日、聖職者は最大252日断食する。その間は肉・乳製品・卵を口にしない。
テフはエチオピア原産の、ケシ粒より小さい穀物だ。消費はほぼエチオピアとエリトリアに限られる。グルテンフリーで、栄養価が高い。エチオピアは自国民の食料を確保するため、長年テフの輸出を制限してきた。
品種は三つ。ネチ(白)、ケイ(赤)、セルゲニャ(混合)。白テフがいちばん高価で、100パーセント白テフのインジェラは富の象徴だ。日常の食堂で出るのは、大麦や小麦を混ぜた安価な混合粉のものが多い。色が濃いほど混ぜ物が多いと考えていい。
起源は、実はよく分かっていない。「粉に水分が残ったまま数日置いて、偶然発酵した」という推測が語られるが、これも学術的な確証はない。
伝統的に、インジェラを焼くのは家の女性の仕事だ。かまどの前が、そのまま仕事場になる。




「紀元前100年ごろから」は現地でもよく語られるが俗説で、史料による裏づけはない。確認できるのは西暦600年ごろのミタドの遺物まで。発酵時間は標高と気温で変わる。
種類を並べてみる
発酵時間と粉の配合で、まったく別のものになる。
| 名前 | 特徴 | 食べ方 |
|---|---|---|
| 標準のインジェラ | 中程度の発酵。薄く滑らか。最も一般的 | ワットを包んで手で |
| アフレグナ | 発酵12〜24時間。厚く、甘みがあり底が赤黒い | そのまま、または軽い副菜と |
| コムタタ | 長時間発酵。強い酸味 | 刻んでフルフルに再利用する |
| 100パーセント白テフ | 高価。祝祭・来客用 | 大皿の下敷きに |
| 混合粉(テフ+大麦・小麦) | 安価。日常食 | 日常のワット全般と |
| インジェラ・フルフル | 刻んで煮汁と和える | スプーンで。朝食に |
酸っぱくなりすぎたインジェラも捨てない。刻んで煮汁と和え、フルフルにして食べきる。
食卓の決まり
右手だけを使い、同じ皿から食べ、時には相手の口に自分の手で運ぶ。
- 1グルシャ自分の手でちぎったひと口を、相手の口に直接入れる習慣。渡す側をアグラシュ、受ける側をゴラシュと呼ぶ。
- 23回が礼儀グルシャは3回が礼儀とされる。年長者や賓客が先。親愛の表現なので、断るのは失礼にあたる。
- 3ひとつだけ注意既婚女性に他の男性がグルシャを渡すのは、重大な失礼になる。そこだけは気をつける。
- 4右手だけ左手で食べる、左手で渡すのは避ける。食前には必ず手を洗う。
- 5大皿は共有食卓そのものがメスォブという編みかご。通常は2〜3人で1枚のインジェラを分け合う。

断食日のインジェラ
断食の期間、食堂ではインジェラの上に載るものがすべて精進に切り替わる。
これをベヤイネトゥと呼ぶ。1枚のインジェラに、6〜8種の菜食の小山を盛った大皿だ。
シロ(豆の粉の煮込み)、ミスィル(レンズ豆)、ゴメン(青菜)、サラダ、じゃがいも、インゲン。少しずつ取って、一緒に食べる。
エチオピアで菜食が当たり前なのは、健康志向ではない。宗教暦の産物だ。ヴィーガン対応は「特別対応」ではなく、最初から国民食として存在している。

豆知識
- 1菌の数がすごいインジェラの発酵には酵母68種、乳酸菌107種が同定されている。48時間で菌数は千倍に増える。日本の発酵食品に負けない複雑さだ。
- 2赤ん坊を包むバハルダールの一部の正教徒の家庭には、洗礼のあと赤ん坊をインジェラで包む習慣がある。幸運を祈ってのことだ。

食べに行く前に
注文のことば
アディスアベバなら、ボレ地区のヨド・アビシニア(ボレ・ブラス病院裏)が民族舞踊の生演奏つき。2000ハベシャ(ボレ・アトラス)、カテグナも定番。買うならメルカートへ。インジェラと香辛料の最大の市場で、アフリカ有数の規模がある。ラリベラではベン・アベバ。スコットランド人のスーザンと地元のハブタムが始めた店で、螺旋状の建築そのものが名物。ゴンダールならザ・フォー・シスターズ・レストラン。
値段と覚え書き
| インジェラ1枚(参考・2021年) | 10〜12ブル約10〜12円 |
| ローカル食堂の大皿 | 200〜400ブル約200〜400円 |
| 中級店の大皿 | 500〜800ブル約500〜800円 |
| 中級店のベヤイネトゥ | 460ブル約460円 |
| 高級店のベヤイネトゥ | 858ブル約860円 |
- 1エチオピア・ブルはおよそ1円。ブルの数字をそのまま円と読める
- 価格は情報源による差が大きい。ローカル食堂の値段は、媒体によって2〜3倍の開きがある。表は幅として見る
値段は2026年8月時点の目安(インジェラ1枚のみ2021年の参考値)。1エチオピア・ブル=約1.0円で換算。宅配価格が含まれる場合もある。現地で必ず確認を。
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写真の出典(15枚)
写真は原典のライセンス(CC BY/CC BY-SA/CC0)に従って掲載しています。作者名・ライセンス・原典リンクを1枚ずつ表示しています。旧版の写真15枚はすべて引き継ぎ、説明は写っているものと撮影地に合わせて書き直しました。
- インジェラの大皿に8種の煮込みと巻いたインジェラ(イスラエル・レホヴォトのエチオピア料理店で撮影)|Artem.G/CC BY-SA 4.0/2023年撮影(原典)
- 断食日の大皿。インジェラの上に肉を使わない料理だけを盛る|Jbinthecity/CC0/2023年撮影(原典)
- 焼き上がったインジェラの表面の穴のアップ。穴の開き方で発酵の出来が分かる|Insta sm gram/CC BY-SA 4.0/2014年撮影(原典)
- インジェラの上に載せたドロワット(鶏肉とゆで卵)|Edsel Little/CC BY-SA 2.0/2020年撮影(原典)
- 白テフ(ネチ)から作ったインジェラを、編みかごの上に重ねる|Edsel Little/CC BY-SA 2.0/2019年撮影(原典)
- ミタドに生地を渦巻き状に流していく。中心から外へ、一気に|Shaik fayaz shannu/CC BY-SA 4.0/2017年撮影(原典)
- 土のかまどのミタドの上で焼けていくインジェラ。下から薪の火で熱する|PhoTom – ፎቶም Photography/CC BY-SA 4.0/2012年撮影(原典)
- 巻いたインジェラを編みかごに並べる|Edsel Little/CC BY-SA 2.0/2009年撮影(原典)
- ティグライ州ゲラルタの家の台所。土のかまどでインジェラを焼く女性|Charliefleurene/CC BY 4.0/2017年撮影(原典)
- 北エチオピア、アムハラの女性。かまどの前で作業する|Dimbak7/CC BY-SA 4.0/2007年撮影(原典)
- かまどのミタドいっぱいに広がった生地と、そばに座る女性|Giladho00/CC BY-SA 4.0/2015年撮影(原典)
- 暗い台所で、水差しからミタドに生地を注ぎ入れる|Jean Rebiffé/CC BY-SA 4.0/2014年撮影(原典)
- アディスアベバの、色鮮やかな編みかごの食卓メスォブ|Ji-Elle/CC BY-SA 3.0/2014年撮影(原典)
- インジェラの上のアイブ(自家製の白いチーズ)とゴメン(青菜)|stu_spivack/CC BY-SA 2.0/2008年撮影(原典)
- ソマリアのカンジェロ(インジェラに近い発酵パン)の表面。細かい穴が一面に開く|Lukasz Nowak/CC BY-SA 4.0/2014年撮影(原典)


