パスティラ

世界の料理図鑑 モロッコ

パスティラ

بسطيلة バスティーラ Pastilla

見た目は完全にお菓子。フォークを入れると、中から鳩か鶏が出てくる。

上面に粉砂糖とシナモンで格子模様が描かれた、丸い焼き菓子——に見えます。実際は肉のパイです。

ひと口目はぱりっと軽い薄皮の砕ける音、続いて粉砂糖の甘さ。そこから遅れて、肉とサフランの塩気が追いかけてくる。この甘さと塩気の時間差がパスティラの体験のすべてです。

祝宴の一皿目に出る料理で、日常食ではありません。結婚式、宗教的な祝日、客をもてなす席。これが出てきたら、それは特別な食事だという合図です。

国・地域
モロッコ全土。フェズが本場とされる(諸説あり)
分類
パイ(薄皮+肉)
相場
20〜200ディルハム(約340〜3,450円)。屋台の簡易版と本格版は別物
主な材料
ワルカ(極薄生地)、鳩または鶏、アーモンド、卵、シナモン、砂糖、バター、サフラン、玉ねぎ、ラス・エル・ハヌート
辛さ
辛くない。甘い
食べる場所
フェズ、マラケシュ、カサブランカ、ラバトの本格レストラン
ベスト時間
祝宴の一皿目。前菜の位置
一人前の目安
大きな丸皿を全員で分ける
食べ方
手でぱりぱりと割って取り分ける。ナイフを入れることもある
近い料理
ブリワット(同じワルカで作る小さな揚げ包み)

01一口目に来るもの

運ばれてきた瞬間は、誰もがデザートだと思います。丸くて、粉砂糖が真っ白にかかっていて、シナモンで格子が描かれている。

割ると、まず音が来る。ぱりっ、というより、しゃりしゃりと薄い層が砕ける音です。

口に入れて最初に感じるのは粉砂糖の甘さ。それが溶けたあと、遅れて肉とサフランの塩気が上がってきます。この時間差が、初めての人をいちばん驚かせる。

中は三層です。ワルカの層は紙のようにぱりぱり、ほぐした鶏肉を卵でとじたソースはしっとりして半熟カスタードのよう、砕いたローストアーモンドはざくざく香ばしい。同じひと口に三つの食感がある。

パスティラ
切り分けたパスティラの断面。粉砂糖の下から、ほぐした肉と卵のソースが出てくる

02ワルカという生地

パスティラの正体はワルカという極薄の生地です。フィロに似ていますが作り方が違う。

高グルテンの粉、セモリナ、塩、酢かレモン汁、オリーブオイル、水で粘りの強い生地を作り、前日から寝かせます。

焼き方が独特です。熱した鍋の「裏側」に、粘る生地の塊を何度も叩きつける。叩きつけるたびに薄い膜が残り、それが重なって一枚になる。

約2分。生地が完全に白くなって縁が反り始めるが、まだしなやかなうちに剥がす。片面しか焼きません。

モロッコにはワルカを焼く専門の職人がいます。市場に行くと、円い鉄板の前に座って延々と叩きつけている人がいる。

パスティラ
カサブランカのスーク・ジミア。ワルカ(パスティラの皮)を作る店の作業台
パスティラ
ワルカを焼く鉄板。何枚も並べて次々に焼いていく
パスティラ
職人の手。生地を叩きつけて剥がす、その一連の動作が速い

家で作るなら、どこで失敗するか

ワルカが自作できなければフィロで代用できます。ただし食感は別物になると思ってください。

よくある失敗は四つ。薄すぎて破れる、厚すぎてパリッとしない、焼きすぎて脆くなり剥がすときに割れる、中身の水分が多くて焼いても皮がふやける。

そして層の間のバターが足りないと、層が分離しません。一枚ずつ、丁寧に塗る。それだけで結果が変わります。

パスティラ

第 二 章

甘 い 前 菜

モロッコでは甘さと塩気の同居は当然の味覚だ

03甘い前菜、という考え方

外国人がいちばん戸惑うのは、甘いものが前菜として出てくることです。

モロッコでは甘さと塩気の同居は当たり前です。タジンにプルーンが入り、クスクスにレーズンが載る。パスティラはその極端な例にすぎません。

作り方の順序はこうです。肉をバターと香辛料で焼きつけ、やわらかくなるまで煮る。ほぐす。残った煮汁を煮詰めて、卵でとじてカスタード状のソースにする。ワルカにバターを塗りながら重ね、詰めて包み、黄金色になるまで焼く。

つまり、煮汁を一滴も捨てない。その濃縮された旨味が、粉砂糖の下に隠れているわけです。

パスティラ
鶏のパスティラ。アーモンドをたっぷり載せた仕上げ
パスティラ
揚げたワルカを重ね、クリームとナッツ、ベリーをのせた甘いパスティラ(ラバトで撮影)

名前はスペイン語の pastilla(錠剤、小さな菓子)から来ている。料理名そのものが、イベリア半島との接続を示している

04起源には二つの説がある

この料理の起源はまだ決着していません。両方の説を並べます。

アンダルシア起源説。歴史家アニー・ゴールは、13世紀のアンダルス(イスラム統治下のイベリア半島)の料理書に、現代のバスティラの詰め物と強く似たレシピを確認しています。鳩肉、シナモン、アーモンド、サフラン、玉ねぎ、卵という構成が一致する。16世紀にアル=アンダルスを追われたムスリム(モリスコ)がモロッコへ持ち込んだ、という筋書きです。

オスマン/アルジェリア経由説。歴史家イドリス・ブーヒラは、1830年以降にオスマン支配下のアルジェリア経由でモロッコに入り、テトゥアンから広まったと主張しています。

名前の由来はスペイン語のpastilla(錠剤、小さな菓子)。アラビア語では p が b に変わるので bastilla になった。この語源自体はイベリア側を指しています。

現地では「フェズ発祥」とよく言われますが、学術的には確定していません。

05種類を並べてみる

「パスティラ=甘い」も、実は半分しか正しくありません。

名前特徴食べ方
鳩のパスティラ(伝統形)本来の姿。若鳩(スカブ)を使う祝宴の一皿目。手で割る
鶏のパスティラ現代の主流。入手しやすく安価レストランの定番
魚介のパスティラ魚のフィリング+ヴェルミセリ、チーズとレモン。粉砂糖はかけない結婚式で頻出。カサブランカなど
ジャウハラ(ミルクのパスティラ)デザート版。揚げたワルカ+オレンジフラワーウォーターのクリーム食後に。皿の上で崩しながら
ユダヤ系モロッコ版食事規定のためバターではなくオリーブオイルを使う同上
ブリワット(小型版)同じワルカで作る小さな三角の揚げ包み前菜・つまみ
パスティラ
魚介のパスティラ。こちらには粉砂糖をかけない
パスティラ
海老を並べた魚介のパスティラ。結婚式でよく出る
パスティラ
ジャウハラ。揚げたワルカとクリームを重ねたデザート版

06いくらで食べられるか

屋台の簡易版と、店で焼く本格版は別物です。値段も一桁違います。

パスティラの相場(2026年8月時点の目安)価格
ジャマ・エル・フナ広場の簡易版20〜40ディルハム/約340〜690円
一般のレストラン(単品)80〜180ディルハム/約1,380〜3,100円
コースの一皿目として120〜200ディルハム/約2,070〜3,450円
高級店(一人)300〜700ディルハム/約5,170〜12,070円
ワイン込みの高級店500〜1,000ディルハム/約8,620〜17,240円

07どこで食べるか

フェズ:最も本場とされる街。ダール・ルマナは鳩のパスティラを出します。パレ・アマニは魚介のパスティラを屋上席で。

マラケシュ:ル・トプシルはメディナの中庭で鳩のパスティラ。ラ・メゾン・アラブは料理教室も併設しています。

カサブランカ:旧港近くのラ・スカラで魚介のパスティラを。

ラバト:アンダルシア様式のリヤドを使ったディナルジャット。

どの店も予約推奨。パスティラは焼くのに時間がかかるので、当日いきなりでは出てこないことがあります。

パスティラ
店で切り分けられるパスティラ。レモンを添えて出すことが多い
パスティラ
モロッコの食卓。パスティラは一皿目として出て、そのあとタジンやクスクスが続く

08豆知識

粉砂糖の下は鳩肉だった。現代は鶏が主流ですが、伝統形は若鳩(スカブ)を使います。写真を撮るなら必ず断面を撮ってください。見た目と中身のギャップが、この料理のすべてです。

ワルカは鍋の「裏側」で焼く。粘る生地を熱した鍋底に叩きつけては剥がす。専門の職人がいる技術で、家庭で完璧にやるのは難しい。

魚介のパスティラには粉砂糖をかけない。「パスティラは甘い」という常識は、実は半分だけ正しい。結婚式で出てくる大きな丸皿が甘くなかったら、それは魚介版です。

為替レート:1モロッコ・ディルハム=約17.2円で換算しています(2026年8月時点)。価格・営業時間は変動します。現地で必ずご確認ください。

写真はすべて Wikimedia Commons より。各画像の作者とライセンスは以下のとおりです。