
世界の料理図鑑 モロッコ
タジン
طاجين タジーン Tagine
料理の名前は、鍋の名前です。あの三角の蓋には、乾いた土地で生まれた理屈がある。
モロッコの食卓に必ずある、あの円錐の蓋の土鍋。じつはあれ自体が「タジン」で、中の煮込みも同じ名で呼ばれます。
味はほとんど辛くありません。代わりに甘い・酸っぱい・香ばしいが層になって来る。プルーンの甘み、塩レモンの酸味、シナモンとサフランの香り。
そして肉は、骨から外れて崩れる寸前まで煮られている。水はほとんど足しません。足さなくても、あの蓋が水を返してくれるからです。
- 国・地域
- モロッコ全土。チュニジア・リビアにも同名の別料理あり
- 分類
- 煮込み(土鍋)
- 相場
- 40〜180ディルハム(約690〜3,100円)。高級店では200〜400ディルハム
- 主な材料
- 羊・牛・鶏・魚+野菜または果物。ジンジャー、クミン、ターメリック、シナモン、サフラン、ラス・エル・ハヌート
- 辛さ
- 辛くない(唐辛子は基本入らない)
- 食べる場所
- メディナの食堂、ジャマ・エル・フナ広場の屋台、リヤドのレストラン、家庭
- ベスト時間
- 昼も夜も。ただし本気で炭火から作る店は注文から20〜45分かかる
- 一人前の目安
- 1鍋を2人で分けることも多い
- 食べ方
- ホブズ(丸パン)をちぎって右手ですくう。鍋は共有、自分の正面だけを食べる
- 近い料理
- タンジア(マラケシュの壺焼き)、ペルシャのホレシュ
01一口目に来るもの
蓋を開けた瞬間に来るのは湯気と、甘い香辛料のにおいです。シナモンとサフラン。土鍋のふちがちりちり鳴っている。
最初のひと口は、意外にも甘い。プルーンやアプリコットが入っていれば砂糖菓子に近い甘さが立ち、その後ろから羊の脂の旨味が追いかけてきます。
塩レモンとオリーブの鶏タジンだと逆で、柑橘の強い酸味と塩気が先に来る。同じ「タジン」でも、甘い系と酸っぱい系はまったく別の料理だと思っていい。
肉は箸ではなくパンで押しただけでほろりと崩れます。野菜は角が溶けかけていて、汁気は少ない。皿底にとろりと濃縮したソースが残る。それをパンで拭う。

02なぜ円錐の蓋なのか
あの三角の蓋は飾りではありません。水を循環させる装置です。
煮立った蒸気が円錐の内壁を上っていくと、頂点に近づくほど温度が下がる。そこで結露した水滴が、内壁を伝ってほぼ全量が鍋底へ戻る。
だから水をほとんど足さずに何時間も煮込める。水が貴重な土地で生まれた技術だと考えると、この形の理由がすっと通ります。
食物史家ギル・マークスは、この赤土製の二部構成の鍋の発祥地をモロッコのアンチアトラス山脈と特定しています。器具はベルベル(アマジグ)系、調理の概念はアラブ経由という二層構造です。
火加減は伝統的には炭火。鍋と炭の距離を取って、急に温度を上げないのが鉄則。弱火で2〜3時間かけます。


家で失敗する三つの理由
日本でタジン鍋を買って割った、という話をよく聞きます。原因はだいたい三つです。
一つ、強火で直火にかけた。土鍋は急な温度変化で割れます。ヒートディフューザー(火力を散らす板)を必ず挟む。
二つ、水を足しすぎた。足すと還流の意味がなくなり、ただの水っぽい煮物になります。
三つ、蓋を何度も開けた。開けるたびに蒸気が逃げ、循環が切れる。開けたくなるのを我慢するのがタジンです。




第 二 章
山と、鍋と
アトラスの風景の中に、同じ形の鍋が置かれている
03甘い系と、酸っぱい系
タジンを一つの料理だと思うと混乱します。甘い系と酸っぱい系、二つの系統があると考えるとすっきりする。
甘い系の代表がムルージア。羊肉にプルーンとアーモンド、ラス・エル・ハヌートとサフラン、そして蜂蜜。祝いの席の料理で、日本人の想像するタジンからいちばん遠い味です。
酸っぱい系の代表がジャージ・ムカリ。鶏に塩レモン(シトロン・コンフィ)とオリーブ。塩レモンは皮ごと塩漬けにしたもので、酸味というより「塩気のある柑橘の香り」が汁に溶けています。
どちらでもない日常食がケフタ・ムカウラ。牛ひき肉の団子をトマトソースで煮て、最後に卵を落とす。屋台や食堂のメニューでいちばん安い帯にいます。半熟の卵を崩してパンで拭うのが正解。


水を足さなくていい。蓋が返してくれるから。タジン鍋の使い方として、モロッコで最初に教わること
04種類を並べてみる
メニューにはたいてい「タジン」としか書かれていません。中身の指定は店ごとに違うので、下の表を目安にしてください。



05いくらで食べられるか
屋台と食堂と高級リヤドで、値段が一桁違います。どれも「タジン」ですが、別のものだと思ったほうがいい。
いちばん安いのはジャマ・エル・フナ広場の夜屋台。17時ごろから設営が始まり、18時から深夜まで。ピークは20〜23時です。
06どこで食べるか
マラケシュ:ジャマ・エル・フナ広場の屋台が最も手軽で、100軒以上が並びます。落ち着いて食べたいなら新市街ゲリーズのアル・ファシア。女性だけで運営されている店で、80〜150ディルハム。
フェズ:イシュクは125ディルハムから。リヤドを改装したダール・ルマナは、フェズでいちばん名の通った一軒です。
エッサウィラ:港町なので魚のタジンを。ダール・ババが125ディルハムから。
注文してから炭火で一から作る店では20〜45分かかります。待たされているのではなく、そういう料理です。


07食べ方の作法
皿もフォークも使いません。ホブズ(丸いパン)をちぎって、右手で鍋から直接すくうのが本式です。左手は使わない。
鍋は円卓の中央に置かれ、全員が同じ鍋を囲みます。自分の正面のエリアだけを食べるのがマナー。手を伸ばして向こう側の肉を取るのは、あまり感じのいい振る舞いではありません。
パンは食器であり、スプーンであり、最後に皿を拭く道具でもある。パンを残さないことが、そのまま「おいしかった」の合図になります。
08豆知識
タンジアは「男の料理」だった。マラケシュのスークの職人たちは、木曜の夜に肉と香辛料を詰めた壺を公衆浴場(ハンマム)へ持ち込み、湯を沸かす窯番に頼んで熱い灰に埋めてもらいました。金曜の朝に回収して、男だけで食べる。今でも肉屋で壺を借りて、同じことを頼めます。
「タジン」はモロッコだけのものではない。チュニジアのタジンは卵で固めたキッシュのような別料理です。同じ名前で中身がまるで違う。メニューで見かけたときは、その国のタジンを想像してください。
語源はギリシャ語らしい。古代ギリシャ語のタゲノン(浅い鍋・フライパン)にさかのぼるとされます。文献上は9世紀のアッバース朝期までたどれ、『千夜一夜物語』にもタジン調理が登場します。
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